キンストレーキについて

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キンストレーキ

キンストレーキ

金沢市指定文化財(平成28年1月21日指定)
金沢市HPより引用

 キンストレーキとは、オランダ語で「Kunst lijk」=「人工の死体」を意味します。

 ヨーロッパでは17世紀末から19世紀に、イタリアを中心に蝋製の人体模型が教材または見世物として使われていました。しかしこれは高値なうえ、手で触れられないという欠点がありました。この代用として、1825年、フランスのルイ・トマジェローム・オズーが、支柱は金属、他の部品は紙塑(紙に粘土、繊維等を混ぜたもの)でできた人体解剖模型を開発し量産しました。これがオランダではキュンストレーキ、金沢ではキンストレーキと呼ばれました。

 加賀藩では、種痘所を改良し西洋式医学校を設立するため、明治元年(1868)に黒川良安などの視察団を長崎へ派遣しました。一行は設立間もない長崎府医学校を見学し、オランダ海軍軍医のマンスフェルトから授業方法や内容を習得、キンストレーキ、他の臓器模型多数、医療機器、薬品などを購入し、翌年帰藩しました。視察の成果は、明治3年(1870)、殿町の津田玄蕃邸(現在の健康プラザ大手町敷地)に設立された金沢医学館で活かされ、その後紆余曲折を経て、金沢大学医学部に引き継がれました。

 金沢大学では平成20、21年度にキンストレーキの修理と調査を行い、1857年フランス製であること、全高167.8㎝の男性体であること、全体の9割が残存、左上腕筋肉・頭部筋肉の部品に日本製と覚しきラベルが13枚あり、オランダ語の筆記体と日本語の旧字体による直訳語が、同一の紙・インク・筆跡で書かれていることが明らかになりました。

 このキンストレーキは、金沢の近代医学史上重要な資料で、来歴も明らかであり、国内で所在が確認されているフランス製の4体(福井県に2体、長崎県に1体が所在)のうち最も保存状態が良いとされております。